あの編集長はフェスをどう楽しんできた?小林祥晴さん(ザ・サイン・マガジン・ドットコム)

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雑誌やウェブサイトなどを通し、レビューやインタビューなどで数々の音楽を紹介する音楽メディア。そんなメディアを運営する編集長はいったいどのようにフェスと出会い、体験してきたのか。やっぱり当日は仕事でいそがしい? いろいろなアーティストに会ったりする? 気になるところを聞いてきました!

記念すべき第1回目は、スヌーザーの元編集長である田中宗一郎氏がクリエイティブ・ディレクターを務めていることでも知られる、厳選したアーティストや作品を紹介/批評する『ザ・サイン・マガジン・ドットコム』の編集長、小林祥晴さんです。

単独公演を観に行ったかのようなフェス初体験、その次はいきなりグラストへ!

―小林さんの初体験のフェスを教えてください。

1998年のFUJI ROCK FESTIVAL(フジロックフェスティバル)です。第1回目が台風で2日目中止となってしまったこともあり、唯一の豊洲開催となった回です。この年はイアン・ブラウンが出たんですよ。まだThe Stone Roses(ザ・ストーン・ローゼズ)解散から間もない時期で、確かソロでは初来日。僕はザ・ストーン・ローゼズの熱狂的なファンなので、完全にイアン目当てで、彼のライブ開始時間に合わせて会場に行きました。当時はまだフェスというものが浸透していなかったこともあり、フェスの楽しみ方をよく分かっていなかったんですね。場を楽しむとか、そういう発想がなかった。しかも、そのイアン・ブラウンのライブがとにかく酷くて。あまりにショックを受けて、次のPrimal Scream(プライマル・スクリーム)さえ観ないでそのまま帰ってしまったという(苦笑)かなり特殊なフェス初体験でした。

―単独公演を観に行ったようなものですね(笑)

そうなんです。完全に自分のせいなんですけど、そのときの体験があまり楽しいものではなかったので、それからしばらくフェスには行きませんでした。

―では、次に行ったのはどのフェスですか?

2003年のGlastonbury Festival(グラストンベリー・フェスティバル)です。

―いきなり世界最高峰のフェスに(笑)

その頃、1年間ロンドンに留学していて、ライブに行きまくる生活をしていたのですが、グラストのチケットが余っているという知人に誘われて一緒に行きました。とんでもない衝撃を受けましたね。「フェスってこういうものなんだ!」とようやく理解できました。いまだにあの衝撃を超えるものはないです。

―グラストではたくさんライブを見てまわる感じだったのでしょうか?

実質的には初めてのフェス体験だったので、とにかくガツガツとライブを見て周りましたね。でもライブの記憶はほとんどない(笑)ヘッドライナーのRadiohead(レディオヘッド)がすごく良かったというくらい。それよりも、とにかく会場の広さやステージの多さ、そしてそこで鳴らされている音楽のジャンルの多様さに驚きました。そこに何十万人ものお客さんが来て、みんなそれぞれ違う楽しみ方をしている。その自由さが本当に衝撃でしたね。ああ、フェスっていうのは音楽云々は二の次で、自由と主体性という感覚を体感し、それを少しでも日常に持ち帰るための場所なんだな、というのがそこで初めて理解できました。今ではフェスの醍醐味として、日本でも広く浸透している価値観だと思いますけど。それをフジのモデルにもなったグラストンベリーで初体験できたのは本当にラッキーでした。

フェスのラインナップから分かる「時代の変わり目」

LCDサウンドシステム
Photo by wonker

―これまでに参加したフェスで印象に残っているものベスト3を教えてください。

まずは、今お話した2003年のグラストンベリー。これは絶対に外せない。

次は2004年のElectraglide(エレクトラグライド)です。エレクトロニック・ミュージックを軸とした日本のフェスティバルですが、2 MANY DJ’S(トゥー・メニー・ディージェイズ)、!!!(チック・チック・チック)、LCD Sound System(LCDサウンドシステム)といったアーティストが出演した年で、そうしたディスコパンク、エレクトロクラッシュの流れがラインナップで大きなウェイトを占めていたのはインパクトがありました。ああいう大規模なフェスに、当時最先端だったエレクトロ勢が大々的に組み込まれた最初の事例だったんじゃないでしょうか。LCDサウンドシステムは初来日でしたが、あまりに素晴らしい演奏とグルーヴに最初は口をあんぐり開けて立ち尽くすしかなかった(笑)それくらい衝撃的で。もちろん、ティム・デラックスやダレン・エマーソンといった90年代から人気がある大物DJも出ていましたよ。でも、やっぱり、新世代の台頭で確実に時代は変わり始めているという事実を、ラインナップそのものが物語っていたのが本当に素晴らしくて。フェスってそういう時代の写し鏡であるべきだと思いますし。

3つ目は2006年のフジロック。これも先ほどのエレクトラグライドと同じ理由です。The Strokes(ザ・ストロークス)、Franz Ferdinand(フランツ・フェルディナンド)という00年代にデビューしたアーティストがヘッドライナーに選ばれ、時代の変化を感じた年でした。当時の自分は25歳と若く発想も単純で、「いつまでも90年代のバンドがトリなのはおかしい!」と憤っていたので、あのラインナップにはめちゃくちゃ興奮しましたね。今でも当時の感覚は間違ってなかったと思いますけど。ただ正直、実際ライブを観てみると「まだこの規模のステージのトリは早いかな」と感じたのを覚えています。ファンの贔屓目で見ても。でも、若いバンドを思い切ってヘッドライナーに持ってきたプロモーター側の心意気には僕も魅了されましたし、それによって初めて参加した若い世代のオーディエンスも多かったんじゃないでしょうか。「これは俺たちのフェスなんだ!」と感じられたはずだから。

―ライブ以外でフェスの体験で印象に残っているエピソードがあれば教えてください。

本当にどうしようもないエピソードしかないですよ(笑)さっきお話しした2004年のエレクトラグライドでクロークに荷物を預けたのですが、盛り上がりすぎて引き換えのチケットをどこかで落としてしまったんです。そしたら「お客さんがみんな帰って最後に荷物が残るまで待ってください」と言われて、終演から2時間以上ずっと待っていました(苦笑)その日はオープンと同時に行ってめちゃくちゃ盛り上がっていたので、荷物を受け取るときにはもうボロボロ。ついさっきまで超ハイテンションで「うぇーい!」ってなってたのに、音楽も止まって、何もすることなくひたすら待ち続ける2時間は地獄でした。気まずくて友達とも無言で。友達と2人で死にそうな顔して、ただひたすらドヨーンとしてるっていう(笑)

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