【主催者インタビュー】ARABAKI・菅真良「試行錯誤、巡り合わせ、オリジナル」

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「ARABAKI ROCK FEST.18」第4弾&日割り発表!くるり、マンウィズ、小袋成彬ら追加

東北最大級の野外フェスARABAKI ROCK FEST.は今年で開催17回目。個性的なアーティストが揃ったラインナップやここでしか観られない豪華なセッション企画もあり、お客さんからもアーティストからも愛され続けるイベントです。

そんなARABAKIの主催であるARABAKI PROJECT代表の株式会社ジー・アイ・ピー執行役員 菅真良さんにARABAKIの始まりから、今年のセッション企画、新たに始まった野外フェス・オハラ☆ブレイクについてお話を伺いました。

試行錯誤しながら見つけた“オリジナルのフェス”の形

ーーーARABAKIが始まって17年になりますが、菅さんが今のお仕事を始めようと思ったきっかけは何だったのでしょうか?

 僕が中高生のときに仙台で開催していたロックンロールオリンピックというイベントに憧れて今の会社に入りました。ロックンロールオリンピックの印象が強かったので東京に行くことは考えてなかったですね。
そのイベント自体は終わってしまったんですが、どこかのいいタイミングで復活させたいということを意識しながら仕事をしてきました。

菅真良

ーーーそれで始めたのがARABAKIだったんですね。

 ARABAKIを始める2、3年前にザ・ルースターズの花田裕之さんのすすめで1人でニューオーリンズに行ったんです。そこで「Jazz&Heritage Festival」というステージが8個ある複数同時開催のイベントが開催していて、それまでそんなイベントを見たことがなかったのでとても感動しました。
さらに同じ年には初めて大型コンサートを担当できるようになって、前から考えていたロックンロールオリンピックに代わることをやりたいという気持ちと自分の仕事での役割が合致したタイミングでしたね。
それでニューオーリンズで見た複数同時開催の野外イベントをやってみようと思ってキャリア10年目の時にARABAKIを始めました。

ARABAKI

ーーー第1回目を開催した時はどんなことが印象に残ってますか?

 印象というか、あっという間でなんだかよくわかんないで終わってましたね。でも、メイン会場が屋内ということにはすごく違和感を感じました。
それで場所探しをいろいろ交錯していて混沌とした時期が4年ぐらい続いたんです。開催するたびに、赤字は増えるわ、人はどんどん減るわで。
だから2005年からは思い切って夏から春に開催時期を変えようと考えたんです。2004年はその開催宣言の場として秋にプレイベントを開催しました。その時にシアターブルックを母体として、いろんなゲストミュージシャンを入れたセッション企画をやってみたんですが、それがなかなか楽しかったんです。

ーーーそれはシアターブルックからの提案だったんですか?

 いや、それは僕から特別なことをやりたいという話をしたんです。そう思ったきっかけはニューオーリンズの「Jazz&Heritage Festival」です。そこでは、有名なアーティストではなく地元の商店街のブラスバンド部が大トリを務めていたんです。そこにドクター・ジョン(ニュー・オーリンズを代表するミュージシャン)とかが入ってきて、セッションするんですがそれがものすごく盛り上がってて、印象に残ってました。

ARABAKI

ーーーそれだけ聞いても楽しそうですもんね。

 僕がARABAKIを始めた時、東北に何かを根付かせるには人気がある人を呼ばなきゃいけない、と思ってたんです。でも、もしかして有名な人というよりも、オリジナルなフェスをつくることでそれをやりたかったんじゃないかと自分で思い直して、2005年春に方向転換したんです。

ーーー大きな転換の年ですね。

 2005年のフィナーレは忌野清志郎さんに母体になってもらって、甲本ヒロトさんとか、奥田民生さんとか、スカパラ(東京スカパラダイスオーケストラ)に出てもらいました。さらに当日には清志郎さんがステージのスタッフに「PAの所にクドカン(宮藤官九郎)がいるから呼んできてくれ」と言ってクドカンも突然参加することになって(笑)。セッションでフィナーレを迎えるという、思い描いてたオリジナルなフェスとしてスタートできた年でした。

ーーーそこから今のARABAKIのスタイルがあるんですね。

 ただ、2005年に開催してるときには、その会場が1回きりしか使えないことが分かっていたんです。それで次の会場を探していた時に、みちのく公園内にエコキャンプみちのくがオープンするのを知って、キャンプ場の責任者、管理の方に「来年からここでARABAKIをやりませんか」と飛び込みで行って話をしたんです。そしたらものすごく受け入れてくれて。その時、ちょうど公園の管理にひたちなかの公園からROCK IN JAPANを経験された方が赴任されてきてたんです。

ARABAKI

ーーーすごい偶然と言うかめぐり合わせですね。

 責任者の方はARABAKIにお客さんとして来てくれていたこともあって「ぜひやりましょう」とおっしゃってくれて、会場である川崎町の皆さんを町ぐるみで説得してくれました。
みちのく公園はさっき話した自分が初めて担当した大型コンサートの会場なんですよね。だから「いろんなことが巡り巡ってくるんだな」と感じました。
あと、2006年の開催時に「2010年にこの規模の倍に増えます」と聞いて、ARABAKI10周年のタイミングに照準を合わせて東北6県の名前をモチーフにしたステージをつくっていこうと決めました。

ーーー実際にそれが実現して今の形になっているんですね。

ARABAKI

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